西日本豪雨に寄せて

✈中尾享子です✈いつも客室乗務員CA就活&TOEIC点数アップブログ読破ありがとうございます。

 

昨晩、

1日を終えて

(1日の終わりに

恩師や尊敬する哲学者や

経営者のツイッターや

芸人さんのツイッターを

読むのを日課としています。)

ツイッターを開いて、

 

凍りました・・。

 

人が多く死んでいる

行方不明になっている・・。

 

TVを見ない生活なので、

1日必死で仕事していると

知らないんですね。

 

私も実は

避難命令が出た地域が

隣接していた地域で

いたのですけど、

 

日曜日の午後には

解除され、

だから他の地域も

こんなにひどいことに

なっていると思わなくて・・。

 

阪神大震災のときも

そうでした。

最初は被害の甚大さが全く

わからなくて、

しかし、未曽有の被害が

実は出ていて・・。

 

ツイッターには、

つながっている人が

リツイートしている

ツイートの中に

「助けて、、増水している」

とか、あって、

 

1日能天気に

何やってたんだろう私、、と

思ったのと

(とはいえ、何も

できないんですけど)、

 

阪神大震災の時に

(別に私の被害なんて

なんともない小さなものだったにも

拘わらず)

恐怖を感じたことを

思い出して、

 

なんだか茫然としてしまいました。

 

阪神大震災はもう

25年も前のことに

なるんですが、

 

今思い出しても

涙が出たり

恐怖を感じます。

 

例えば

ー震災から半年はどうしても地下に入ることができない

とか

 

ー救援物資(主に衣類)の仕分けをボランティアでしていて、

送られてくる物資の酷さ(汚れたものとか、不要なものとか)に涙したこととか、

 

ーあっと言う間に近所のスーパーやコンビニの食糧が買い占められたこととか、

 

ー普段電車で15分で行ける職場に歩いて2時間かけて行った際、

その都市で、我々がそのときほしくても手に入れられなかったティッシュが

街中で配られ、それをもらっても捨てている人を見たときの衝撃、とか、

 

以上のことは

まだ口にできることで

それ以外の今でもいうのは怖くなることとか、

 

そういうことが

昨日ツイートを見て

一気に思い出されました。

 

きっと、

被害がましだった私で

こういう状態なので、

 

その時

身内をなくしたとか

大きな被害に遭われた方は

どんなに大変な気持ちだろうと

思いますし、

 

今現在

被害に遭われて

奈落の底に突き落とされた

気分でいる方のことを

思い、

 

何もできない自分が

苦しいです。

✈✈

私が

新卒2年目に

新潟で大きな地震がありました。

 

その際、

キリスト教を普段から

信仰していた

職場の先輩が

「500円でもいいから寄付して」

震災募金のために

言われたのです。

 

当時の私は今よりも

ずっと、

全くダメダメな人間だったので

「えっ?なんで??」

とか

「強制?それ?」

とか

「宗教がらみで嫌だ」

とか思いました。

 

今から考えると

とても恥ずかしいことですが、、、。

 

しかし、

今思い出して

「その先輩に強制してもらって

よかった」と思います。

✈✈

海外では

「自分がランチを食べたと

思って、1食抜いて

ランチ分のお金を寄付しよう」

という試みが

 

頻繁に

中学や高校で

行われています。

 

ニュースで流れていて

皆さんも聞いたかと

思いますが、

 

「救援物資をおいていたために

救助車が通れなくなった」

とか、

いうニュース。

 

物資をもってきた人は

もちろん、

好意や善意でやっています。

 

他方、

 

前述したとおり、

悲しいことですが、

救援物資でも

心ない人が

単に自分の不要物を

もってくる、という

パターンもあります。

 

私もそういう

不要な救援物資を整理した

経験から言うと、

現地に行って

土砂の片づけ等の

肉体労働が

できないのであれば、

 

 

「寄付」という救援が

一番役立つと

思っています。

 

 

きちんとした

団体や公的機関が

寄付を募るでしょうから、

 

ぜひとも

少しでも寄付を、、と

思います。

(災害に乗じて、怪しい団体も

雨後のたけのこのように現れます

気を付けてください)。

 

 

心身の健康のため、

ヨガの教室に

最近

また

通っています。

 

ヨガの終わりに

「今日も心穏やかにヨガが

できることに感謝」と先生が

おっしゃいます。

 

同じ日本で

悲しみに暮れている人が多数

存在する中、

 

健康にCA受験ができる、

ということは、

当たり前のようで

実は当たり前でない、、

 

私も

健康で仕事ができ、

食事をとり、

家族と過ごすことが

できている、

 

ことが

当たり前でない、

 

これはすごいことなんだ、

 

と改めて

気づかされています。